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【再録】なぜ韓国ドラマにハマり続けるのか?@『韓流ハンドブック』

『韓流ハンドブック』(新書館、2007年)の「テレビドラマ」の項目

· 韓国,ドラマ

この原稿は、小倉 紀蔵さん、小針 進 さんの編集による『韓流ハンドブック』(新書館、2007年)の「テレビドラマ」の項目として、2006年に執筆したものです。『韓流ハンドブック』が在庫切れで、入所困難なため、ここに再録いたします。

『冬のソナタ』の大ヒット以降、日本は変わった。テレビ(衛星、ケーブル含め)ではつねにどこかのチャンネルで韓国ドラマを放映し、雑誌やインターネットでも主要コンテンツの一画を担っている。最初は中高年の女性ファンが多かったが、ピ(RAIN)やカン・ドンウォンのような若いスターの出演作も放映されるようになってファン層を広げている。また『宮廷女官 チャングム』は、中高年の男性たちの心をもとらえた。一時的な流行として消え去るどころか、カルチャー、エンターテインメントの一ジャンルとして、しっかり定着したようだ。

 


私も変わった。もはや韓国ドラマのない生活など考えられない。40年近く生きてきて、職業(編集者、ライター)柄、魅力的な人や作品にもたくさん出会うが、これほど何かに「ハマる」体験をしたのは『冬のソナタ』が初めてだった。以来、『12月の熱帯夜』『ラストダンスは私と一緒に』など、対象は移り変わっているが、韓国ドラマに浸る幸せな時間を持ち続けている。


はたして韓国ドラマの魅力、特徴は何なのか、なぜこれほどまでに日本人の心をとらえたのかについて考えてみたい。

人とドラマの関係も熱い

まず、韓国において、テレビドラマはどういった存在なのだろうか。現在に続く新しい潮流が起こったのは、90年代からのようだ。前段階として、1987年の民主化宣言以降、映画界やドラマ界において新しい才能が活躍できる体制になったこと、さらに90年以降は「世界化」をスローガンに、海外輸出向けのコンテンツ産業として、国家政策のもとで映画やドラマの制作に力が入れられてきたことがある。


『冬のソナタ』は2002年、韓国の公営放送局であるKBSで放映された。ユン・ソクホ監督による「四季シリーズ」の2作目であり、前作『秋の童話』が東南アジアで大ヒットし「韓流ブーム」を巻き起こしたことを受け、アジア各国向けを強く意識して制作された。ロケ地がその後に観光名所となって、海外からも観光客が集まることを念頭に置き、韓国の美しい風景を選んで撮影したと、ユン監督は語っている。それが日本のNHKの女性ディレクターの目にとまり、2003年にNHK‐BS2で放映されたところ大人気に。主演俳優のぺ・ヨンジュンはヨン様と呼ばれて中高年の女性を熱狂させ、NHK総合で放映されるや、『冬ソナ』とヨン様は、社会現象にまでなったことは周知のとおりだ。


イ・ビョンホン、ソン・スンホンら、人気スターたちの過去の出演ドラマも続々と放映されている。が、それらは泥くさい。「80年代、いや70年代の設定?」と思って見ていると、携帯電話やパソコンが出てきて驚く。IT化は進んでいても、ファッションやメイクも含め、ドラマを覆う空気には野暮ったさが残っていた。それが2000年を過ぎてから急速に垢抜けていく。変貌のアフターだったからこそ、日本人も抵抗なく受け入れられたのだった。


韓国ドラマの制作者たちは、日本以上に、視聴者の反応に敏感だ。放映終了後、視聴者から寄せられた声を参考にして次回のシナリオを変更することもあるという。インターネットでは、ストーリーや俳優に対する熱い感想が飛び交う。「だれだれの演技が下手だから、ちっとも感情移入できない」といった厳しい批判もよく目にする。その一方で、俳優たちが身につけた衣装やアクセサリー、ドラマの主題歌がヒットする。ファッションや音楽もふくめた流行発信メディアとして注目度、影響力もあるかわりに、視聴者がドラマに要求するものも大きい。そのへんはやはり人間関係と同じで、人とドラマの関係も、密接でホットである。

ポラリスを見上げて生きる


今ふりかえってみても、『冬のソナタ』は、日本で韓国ドラマがウケる要素を、みごとに押さえていたと思う。なかでも象徴的なのがポラリス(北極星)だ。高校時代の重要なシーンで、チュンサン(ぺ・ヨンジュン)が、山の中で迷ったヒロイン、ユジン(チェ・ジウ)に、「道に迷ったときは、空を見上げてポラリスを探すんだ。ポラリスに向かって進んでいくんだよ」と言うところがある。ユジンは、この言葉を胸に刻み、人生のさまざまな場面で、初恋の人の言葉を思い出しては勇気づけられる。


ポラリスをドラマの核に据えたことは、監督や脚本家が意図した以上に大きな意味を持つことになった。ポラリスは、崇高で不変で超越的な存在を信じて生きる価値観の象徴であり、日本人の心にも、長らく忘れていた気持ちが呼び覚まされたのだった。物質的にはそれなりに満たされていても、心はどこか空しい。暗闇で道に迷っている私たちに、空を見上げたら北極星が輝いていることを教えてくれたのが『冬ソナ』であり、ヨン様であり、韓国ドラマだったのだ。北極星を神格化する信仰は、古来から人類に普遍的にあり、「天皇」という言葉も、もともとは北極星のこと。この世界はつねに変化し、形あるものは壊れ、生あるものはみな死に向かっている。不安定な世界に生きる人間は、永遠不変なものを求める欲望も強烈に持っている。が、日本人はそうした意識や生き方を古臭いものとして捨ててしまっていた。


自分よりも優れた存在や、あるべき理想像に強い憧れを抱き、自分がそうでないことを無念に思うのが、韓国の特有の感情「恨」だが、日本人にとっては、そうした強い憧れの対象を、人々が持っていることが新鮮だったのだ。唯一絶対の存在を崇拝することが、行き過ぎれば問題も生じるが、夢や希望のない人生のなんと味気ないことか。


韓国の俳優たちは、ドラマの外でも、視聴者やファンの期待に応え、理想像を演じようとする。「皆様に、もっといい姿をお見せできるように最善を尽します」といった言葉を爽やかに言う。日本人と同じ顔をしているのに、そこには違う価値観、美意識がある。偽善的だと言われようとも、その姿はとても美しく見え、まさに「初恋のときめき」のような、忘れていた大事なものを思い出させてくれた。

ドラマはドラマチックでなければ


韓国ドラマの魅力は、なんといってもドラマチックであること。貧富の差、出生の秘密、交通事故、不治の病、記憶喪失、親の代からの因縁といった、お約束の設定があり、日本よりずっと道徳観念が強いので、恋愛においてもタブーだらけだ。それがドラマチックにつながる。遠く隔てられたものが結合するからこそ感動するのであって、乗り越えるべき障害が多いほど達成したときの満足感は大きく、これでもかというほど過酷な設定が用意されている。


しかも感情表現がストレートなので、どんどん引き込まれていく。一緒になって笑い、泣き、喜び、怒り、憎しみ、愛しむ。そして俳優たちの迫真の演技。若いアイドルでも、ドラマの中でみごとにポロポロと涙を流す。俳優の集中力、本気さが違うと感じる。もちろんすべては演技なわけだが、そこに表現されている感情は「本物」だと思わせてくれる。だからこそ、思いっきり感情移入できるのだ。


すぐにベッドシーンになってしまう日本のドラマよりも、言葉やしぐさ、行動で、さまざまに愛を伝え合う。その代表が「おんぶ」だ。韓国ドラマ名物「オッパのオッパ」と、私は呼んでいるが、必ずと言っていいほど、オッパ(お兄ちゃん。女性から年上の親しい男性への呼び方)が恋人や妹をおんぶする場面がある。それは愛する女性を守る力、頼りがいのある男らしさのアピールだ。
私たちは、「男らしさ」「大人らしさ」のような「らしさ」や、伝統的なふるまいの「型」を壊すことで、より自由になれると思っていた。が、意外に、そうでもないなぁというのが実感であり、ここでも古臭いと思っていた「らしさ」が、とても新鮮に映るのだった。

普遍性と特殊性のバランス


貧しくも心優しく聡明な少女が、逆境にめげず、イジワルな人たちの妨害にも負けずに最後は幸せを獲得する。この原型はシンデレラのお話だ。いつもかまどの側にいて、異界と通じるシャーマンだったシンデレラ。チャングムが料理人で医師であることは、まさしくシンデレラのバリエーションだからだ。また、貧しく不幸な青年が、野心に燃えて一時は悪魔に心を売るが、やがて改心、幾多の試練を乗り越えて成長をとげていくのも、英雄神話の典型。ゲームやファンタジー小説、映画の中で再生され続けているが、韓国ドラマも、人類が繰り返し語り継いできた神話のフォーマットをかなり踏襲している。


以前、北欧の家具がなぜ世界的に人気があるのかを調べていて、至った結論がまさに、韓国ドラマのヒットの理由でもあると思う。それは「国際性と地域性」、「普遍性と特殊性」を兼ね備えていること。流行に左右されない普遍的なものは、国境や時代を越えて「共感」を呼び、固有の伝統文化に根ざした特色は、他の地域の人にとっては「刺激」となる。「懐かしさ」と「新鮮さ」がブレンドされていたからこそ、韓国ドラマは海外でヒットしたのだ。


また、韓国ドラマに特徴的なのが回想シーンの多さ。過酷な制作スケジュール(週に2話放映が多い)のための苦肉の策かと最初は思ったが、しだいにこれは大事な演出なのだとわかった。主人公の記憶を共有することで同化し、より感情移入していく。快楽は同一のものが反復されたときに起こる。美しい音楽とともに何度も繰り返される過去の幸せな記憶のイメージは、こうして視聴者に快感をもたらすのだ。

韓国語の二重構造と言霊


 韓国語には、チョンデマルとパンマルがある。パブリックな関係のよそゆきの言葉と、プライベートな関係の親密な言葉という二重構造も、ドラマを面白くしている要因だ。登場人物ふたりの関係が変わると、言葉遣いもガラッと変わり、とくに名前の呼び方が変わる。会話や関係性の遠近感にメリハリがあるのだ。その根底にある韓国の「理」と「気」の構造については、小倉紀藏氏が著書で詳しく解説されている。


 韓国ドラマを見ていて、あらためて感じることのひとつに「言霊」の力がある。日本語と発音も近い「約束」という言葉がよくセリフに出てきて、「永遠に愛を誓う」といった約束を言挙げする場面が多い。愛する人と約束をし、どんな試練にも耐えて約束を守り抜くことが、ドラマの縦糸となる。日本人はなるべく言葉にしないでニュアンスで伝えようとするが、ここでははっきり言葉にすることが好まれる。「感謝ハムニダ」という言葉を、人間に対してだけでなく神様に対してもよく言ったり、チョンマル(正しい言葉=本当)を愛し、コジンマル(偽りの言葉=嘘)を憎む姿を見ていると、言葉に言霊が宿っているのを感じる。


 年長者や祖先を敬うこと。家族への強い愛情と責任感。伝統を継承すること。韓国ドラマを見ていると、私たち日本人が価値を再認識することがたくさんある。こうして理想郷、ユートピア的なものを、韓国ドラマの中に見出している。それは現実の韓国、ありのままの韓国を理解することとは、ずれているのかもしれない。それでも、韓国を以前よりずっと身近に、親愛をもって感じるようになったことは確かだ。

いつも韓神に熱狂していた


ヨン様が初来日したとき、空港に集まった大勢のファンが熱狂的に迎える映像を見ていて、私の頭に浮かんだのは「今来(いまき)の韓神(からかみ)」という言葉だった。「韓神」とは、宮中で行われる神楽歌の中でもとくに重要な歌で、韓神をお招きし、もてなすためのもの。かつて、この日本列島には、船にのって韓の国からたくさんの神様がやってきた。神様は、共同体の外からやってくる「まれびと」であり、その刺激によって内部に生命力がもたらされると説いたのは民俗学者の折口信夫だが、今でも私たちが日本のタレントより、外タレを有り難がることを考えれば、その説にも素直に納得してしまう。明治以降、欧米の文物を有り難がる時代が続いたが、むしろ長い歴史をふりかえれば、この列島では、神様、スターがやってくるのは、韓半島が圧倒的に多かった。たとえば奈良・桜井にある「土舞台」は、聖徳太子が日本初の国立劇場・演劇学校をつくった場所だが、ディレクターは百済人の味摩之(みまし)。私たちがピ(RAIN)のダンスに興奮するのと同じように、聖徳太子も、味摩之の踊りを見て熱狂していたにちがいないのだ。


参考文献
小倉紀藏『韓国ドラマ、愛の方程式』(ポプラ社)
小倉紀藏『韓国人のしくみ』(講談社現代新書)

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