【再録】古橋悌二インタビュー

「新しい人間関係の海へ、

勇気をもってダイブする」

インタビュー・テキスト/平林享子

· 古橋悌二
ダムタイプの古橋悌二さん

 Teiji Fufuhashi  1995   photo by Tony Fong

このインタビューは、1994年10月2日、古橋悌二(ふるはし・ていじ)さんの個展「LOVERS(ラバーズ) 永遠の恋人たち」の会場であるヒルサイドプラザの近く、代官山のカフェでおこないました。

雑誌「ブルータス」(1994年11月15日号)の特集で、古橋さんのインタビュー記事を掲載させていただくためでした。  

1995年10月29日に古橋さんがお亡くなりになった後、アート系フリーペーパー「review」で追悼特集をしたときに、「ブルータス」では誌面の都合でカットした部分も含めて、インタビューのロング・バージョンを掲載しました。その原稿をここに再掲させていただきます。

「ブルータス」(1994年11月15日号)、古橋悌二さんのインタビュー

↑これは「ブルータス」(1994年11月15日号)の誌面

古橋悌二 インタビュー

「新しい人間関係の海へ、勇気をもってダイブする」

【初出:「review」6号 1996年1月26日発行】

――ドラァグクイーンをやるのは、どうしてですか?

古橋 基本は人を喜ばせるためですね。女性になりたいとかは、全然思ったことがないし……。85年にヴィデオの展覧会に選ばれて、NYに行ったんです。それでしばらくNYに住んでたんですけど、そのときのルームメイトが、クラブでドラァグクイーンの仕事をしてる人だったんですね。それで最初の晩から「あなたはちっちゃくてかわいいから、似合うはず」って言われて、いろいろやられたんです。まるで、犯されるように(笑)。

NYのドラァグクイーンってね、あんまりきれいにメイクしないんですよ。顔をわざと破壊的に描くんです。僕はそれが面白くて。日本のニューハーフとかはリアルに女性に近づけるでしょう。脱毛までしたりして。でも、女性に近づいても、美の範疇って限られてるてしょ。女性で美人って言っても、所詮はヴィヴィアン・リーでしょ。まあ、ヴィヴィアン・リーはすごいきれいやけど。もっと越えた、超越した美(笑)なんですよ。何百年も続いてきた美の範疇っていうのを飛び越えるような美に感動を覚えて。つきつめれば、ディヴァインみたいになっちゃうんだけど、でも、結構そういうの、尊敬してて。

僕も最初はね、自分の顔を破壊的に描くのって、抵抗あったんですよね。そういうの、ないと思ってたけど。「なんでそんなとこに眉毛描くの?」みたいなとこに描くとか、そういうの最初は抵抗あるんやけど、どんどんエスカレートしてきて。今はだいぶ落ち着いてますけど、初期の頃はかなり破壊的な顔をしてたんです(笑)。そういうのをやってる人達って、尊敬すべき、愛すべき人が多いんです。

パーティという環境を想像して、そのパーティ自体をアートとするために「そこにこんなフィギュアが存在したら楽しいはず」って考えて、メイクするんですよ。たとえば、「そこにエリザベス・テイラーのイミテーションがいたら、笑えるはず」とかね。「ボッティチェリのビーナスがいたら、ハマる」と思ったら、そういう格好をする。そういうノリなんですよ。だからどっちかというと、ドラァグクイーンというのは、アート・ディレクションに近いですね、女装というよりは。で、誰も女性になりたいとは思ってない。だから、ドラァグクイーンが家でひっそりメイクをするという状況はありえないんです。

『Paris is Burning(邦題『パリ、夜は眠らない』)はいい映画たったけど、今見るとしんみりしてしまう。あれに写ってる半分以上の人がもう亡くなってるでしょう。一番よく写ってたラベージャっていうママ、彼女は頑張ってるけど、でもこの間も僕が行ったらだいぶ弱ってたし。でもだいぶ弱ってても、ハロウィンのときには5メートルくらいの羽のマントを引きずってるんです(笑)。もう、すばらしいことに。……85年くらいに出会った、僕の尊敬すべき人たちも半分以上亡くなってるし……。そういう人たちがつくり上げてきたアンダーグラウンドな文化を、(声を大きくして)まるで伝統のように、守らなければならない、と思ってますけど。

――アートとアクティビスムについてには、どんなふうに考えてらっしゃいますか?

古橋 僕もね、結構、社会的なことやってるんですよ。8月の横浜のエイズ会議のときも、友だちの浅田彰くんたちと企画して、シンポジウムをやったり、「LOVE BALL」 というダンスパーティをやったんです。300人ぐらい人が来たんですけど。それから、「エレクトリック・ブランケット」といって、エイズに関する写真のスライドを公共の場所、たとえばNYだったら駅の壁に投影したりするプロジェクトとか。そういうような活動もやってるんですけども、なぜやりだしたかというと、誰もやらないからなんです。

本当は僕としては、アートという手段で伝えていこうと思ってるんです。人には職能っていうのがあると思うから、自分ができる最良の部分で世界をよりよくする、よりよくするなんて大それたことは言えないけれども、よりよいヴィジョンをもってやっていければいいなあと思っていて、やっぱり僕の場合は、シアトリカルな方法とか、今回(個展「LOVERS」のこと)のようなアートという手段でやるのが一番適してると思うんです。

ただそこで危険なのは、アートという手段が自分に一番適してるからといって、社会的な矛盾とかをまったく無視してしまうことなんですよね。僕らがそういうイベントを企画して、友だちの名の知れてるアーティストとかに「手伝ってよ」って言っても、「僕は忙しくてボランティアなんかやってる暇ないよ」とかいう人、多いんですね。結構、ガッカリする。「僕はアーティストだからそこまでできないよ」とか「それはそれ」とか。僕の友人でフランス人のアーティストがいて、パリに住んでたんですけど、モンマルトルとかホームレスの人が道にゴロゴロいてるのを無視して、そのあいだをスーっておしゃれに歩いていくんですよね。フランスの場合、アーティストは国に保護されてますからね。それで「こんな国に住んでいたくない」ってパリを出たんですよ。でも僕はそれでは駄目だと思うんですね。

「なぜ、そうなのか」っていうことにもアーティストはコミットしていかないと、アーティストがお山の大将みたいな感じで「アートは儲かる儲かる」みたいなね(笑)、そうなっていくのは本当に危険。僕のできることの最良の部分はアートだと思ってるけれども、やっぱりそういう部分もできる範囲でやっていくつもりなんです。

――自分のセクシュアリティの問題で悩んでいる人に何かアドバイスするとしたら。

古橋 アドバイスなんてそんな大それたことじゃないんですけど、僕が言いたいことは、人間は「個人」なんだから、第一のアイデンティティにセクシュアリティをわざわざもってくることはないと思う。セクシュアリティとかは付随してるもんだから、レズビアンでもゲイでも、それが自分のアイデンティティだっていうふうに、盾をつくっちゃうんじゃなくて、それだとどんどん人間の壁をつくっていくだけだから。まず個人というのがあって、それに付随しているなかのひとつに、レズビアンとかゲイとか、職業とか、背が高い、とかがくる。だから、まず、個人の、ひとりの人間の身体というのを考えた方がいいかな。レズビアンとかゲイとかいっても、それは自分がつけた意味じゃなくて、社会がつけた意味でしょう。だからそういうのにとらわれているのは損。

横浜のエイズ会議で行われた企画の総称が「ラブ・ポジティブ」っていうんですけど、社会の意味づけによって左右される人生というのはすごくネガティブ。自分がどんどん意味を見つけていくという生き方がポジティブだと思うし、これからはどんどんポジティブになっていかないと、どんどん寂しくなると思う(笑)。寂しい兆しが世紀末に向かって見えてるような気がするんです。そういう意味では、意識的な人たち、僕が使いたい言葉としては、「進化に敏感な人たち」というのは、どんどん周りの人に提示している。自分だけがそういう生き方で自己満足するんじゃなくて、周囲に波及していく、人に影響を与えていく生き方をしている。

勇気というのは、これからの言葉だと思いますよ。「DON’ T CROSS THE LINE OR JUMP OVER」(「LOVERS」のインスタレーションで投影される象徴的な言葉のひとつ。ゲイ・プライド・パレードにおいて、行進してもいいエリアの境界線をはみだした参加者に、警官が「Don't cross the line.」と警告。すると、参加者たちはその境界線をどんどん飛び越えていった、というエピソードに由来している)の「JUMP OVER」って「飛べ」ってことですよね。そこには、ちょっと意味をかけてるんですよね。

勇気って、なんか大それたイメージがあるんですけど、ほんのちょっとした勇気でいいんですよ。生活レベルでいうと「一言多い」って、いいことだと思うんですよ、これからは。その一言が失敗でも、あとで撤回すればいいんで(笑)、そういうのを抑えてしまうことは、自分の保身にはなるけれども、世界の保身にはならない。そういうふうに考えると、もっと心地よい環境が出てくると思いますよ。ゲイとかレズビアンとか、カミングアウトすることって、「一言多い」って言われるんですけど、全員がそう思ってきたから、いま、窮屈になっちゃって、目に見えない軋轢が生まれているのだとしたら、別にそんなに大したことないんだから、言っちゃったら、何かが変わるかもしれない。

――「LOVERS」という作品で表現していることを、あえて言葉で表現するとしたら、どういう言葉になりますか?

古橋 いま、カタログのために原稿を書いてるんですけど、手短にまとめられないんです。で、まとめちゃうと、どこぞの広告代理店のコピーみたいになるんですけど……。

(しばらく考えた後に)新しい人間関係の海へ、勇気をもってダイブする。

 

古橋さんの著書 古橋悌二『メモランダム

 

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アホな質問にも、ひとつひとつ丁寧に答えてくださった古橋さん……。