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ハッピーじゃなくても、芸術はいいんじゃないか
――(観客)仕事をしたくないときってありますか?
会田 エブリデイ。
――(観客)さっきまではノリノリだったのに、急に「つくりたくない!」とかは?
小谷 八谷さんは、そういうこと、あんまりないんじゃないですか?
八谷 自分のアーティストとしての仕事では、あんまりないですね。ただ、僕の場合は、ペットワークスという会社もやっているので、会社の業務ではたまに辛いこともあったりしますけど。会田くんはエブリデイ?
会田 基本的には、イヤですね。ツラいですね。
八谷 絵を描く人は、絵を描いてて楽しいのかと思ってた。
会田 まともな絵描きはそうなんだろうけど。僕は、最初のアイデアが出た瞬間がマックスに嬉しくて、「やった! とった!」って感じで、あとは発表の日に向かってヒューッと一直線に下降していくという。展覧会の初日が最低で、「ああ、これで俺も終わったか。ガクッ」っていう、まあ、そういう感じです。ただ、必ずしも、つくり手がハッピーじゃなくても、ハッピーであってもいいけど、ハッピーでなくても、芸術っつうのはいいんじゃないかな、と思いますけどね。日曜日に趣味でやるほうが喜びは大きいんだろうけど、そういうのは作品としては、逆に強くならないこともあるんじゃないのかな。
小谷 僕も同じですね。アイデアが浮かんだときくらいですね、嬉しいのは。で、あとは、もうずっと下火ですね。どんどん嫌になってくる感じで。展覧会の前日なんて最悪にローですね。「会場から取り出したい!」みたいな感じで。で、当日になって、ちょっと褒められたりすると、嬉しいじゃないですか。そういうときって、いいことしか聴こえてこないので、そのときにかろうじてピンと跳ね上がるんですよ。で、またその後はローが続くんです。もしも、日曜画家みたいな感じで、自分の楽しみとして彫刻をつくってたらどんなに楽しかったんやろうって思うときもあります。でも、「発表する」という責任がある以上は、つくることが楽しいとかは、思えなくなったんですよね。
八谷 僕の作品って機能があるから、できあがるまで最終的にどうなるかわからないんですよ。自分の予想を超えるときもダメなときも、当然あるんですけど、最後までわからないから、発表の日に向かってつくれたりする。けど、絵とか彫刻だと、最初に頭のなかにパッと浮かんだイメージが、ひょっとすると最高なのかもしれない。
小谷 そうですね。浮かんだイメージをどれだけ実現できるかという、あとは作業的な問題になっていくので、そうならざるを得ないんじゃないかなと。楽しいことと言えば、彫刻だったら、チェーンソーとかいじってるときは楽しいんですよ。喜びすぎて、いらんとこ削ったりもするんですけど。それくらいですよ、楽しいことって。ほとんどローですね。つくってる途中で客観的に見えてきて、自分の作品がどうしようもない悪魔の赤ちゃんのように見えてくると気がありますしね。
会田 僕も、〈ザク〉を描いてるときは途中で逃げたかったな……。
人生に対する挑戦かな、と
――(観客)作品をつくることは、趣味とみなされているのか、仕事とみなされているのか、お聞きしたいんですが。
八谷 僕は仕事です。お金がどうとかではなくて、これを24時間の中心に据える、という意味でもそうだし、さっきの子供が生まれてって話と関係してるんですけど、作品のことを自分の子供だと思っていたので、本当の子供が生まれたら、そう思えなくなるんじゃないかって、ちょっと恐れているみたいなこともあったりして。ともあれ、作品を制作することは、趣味ではなく、仕事ととらえてやってます。
会田 僕は、それはどっちかとかはわからないけど、毎日の制作がツラいじゃない。「逃げたい!」っていうときに、自分を納得させるために、「お前は、趣味をやって、それで稼げてるんだから、ラッキーじゃないか!」と自分に言い聞かせることはよくありますね。「中学とか高校の頃を思い出せよ。見たくもない教科書を見せられて、一日中、机に座らせられて、あんときに、絵を描きたい!って思ってたじゃないか。放課後、家に帰ってやっと漫画とか描いたりして嬉しかった頃のことを思い出せよ。あれが24時間できるんだから、ラッキーじゃないか!」って。
八谷 このへん(肩のあたりを指して)から、もうひとりの自分に語りかけられてるんだ。
会田 そう。そうやって、自分を納得させようとして「仕事」を「趣味」だと思おうとすることは、よくあるね。
小谷 それはわかる気がしますね。僕も仕事か趣味かは判別してないんですけど、どちらかと言えば、うそ臭い言葉に聴こえるかもしれないけど、「挑戦」かなと。人生に対する挑戦ですね。自分にどれだけのことができるのか……アレッ? 引いてる?
会田 挑戦とか、魂を磨くとかさ、キミたちは、いいこと言うよね。
参考にした作品から、どれだけ積み上げるか
――(観客)オリジナルとパクリの問題なんですが、会田さんは、この本の中でも語ってらっしゃるように、つくり手同士がパクリあってもオーケーという考えですか?
会田 まあ、簡単に言えば、そうですね。
八谷 僕の場合は、〈オープンスカイ〉だと、元はメーヴェっていうのがあるわけですから、「完全なオリジナルです」っていう気は全然ない。けど、アニメやコミックのものを現実のものとしてちゃんと機能を持たせてつくるっていう意味で、元からかなり離れていると思うのでオッケーだろうと思っていて。あと、実は非公式には一番最初に一応許可をもらいに行ってはいるんです。一般論としては何でもNGだとは思わないし、逆に、今の世のなかで、完全にオリジナルなものをつくること自体が難しいと思うので。でも、参考にしたものと、つくったものの距離があまりに近かったりするとよくないと思うし、あるいは、それによって元の作者の人が不快になるとか、ファンが嫌な思いをする状況だと、やっぱりNGだと思う、というのが自分の見解ですね。結局は、ケース・バイ・ケースですね。参考にした作品から、新しいことをどれだけ積み上げているか。元の作品に対しての尊敬があるかってことによって違ってくる。それってやっぱり見た人が判断すると思うんですよ。
小谷 同じ時代に生きて表現している以上、同時多発的に似たような表現が出てくるのは、避けられないと思ってるんですよね。同じようなものに影響を受けて暮らしているわけだし、手に入る素材にしても、今の時代、世界中で、そんなに違うはずがない。だから、そこらへんは、やったもん勝ちというか、できるだけ早く、どれだけいいものをつくるか、つくったもん勝ちなところはあると思ってます。ただ、パクリの問題って難しいですよね。パクって面白いものもありますもんね。
八谷 積み上がってたらいいと思うんですよ。なかにはひどいものがあるから、パクっておいて劣化させてどうする
!? とは思います。
小谷 たまにPVとか見てても、洋モノをそのまま日本でつくってるのとかあって、あまりにも露骨だと嫌な気はしますよね。
八谷 見た人が嫌な気持ちになるかどうかっていうのが、基準かもしれない。
アート/デザイン
――(観客)私はグラフィック・デザイナーなんですが、先輩に「お前はアーティストじゃないんだから」ってよく言われるんですけど、アートとデザインの区別がいまだによくわからないところがあって。3人は、アートとデザインの区別をどのように考えてらっしゃるんでしょうか?
会田 学生時代につきあってた彼女がデザイン科だったんです。酒飲みながらデザインとアートについて議論してケンカになったりして、それがきっかけで〈デザイン〉という、スペース・シャトルが爆発している絵を描いたんですけど、なぜ、どういう議論からその絵になったのか、ちょっと思い出せないんですが。とにかくその頃から、デザインVSアートってことは気になってはいたんです。僕はアート側だと思うけど、こちら側からすると、デザインは、羨ましいことがいろいろあって。
八谷 どういうところが羨ましい?
会田 最初から、社会性のある存在だってことかな。この問題は、八谷くんに答えてもらおう!
八谷 僕は意図的に、デザインとアートの中間のような仕事を多めにやってるつもりです。それは、僕が大学で勉強したのがデザインだってこともあるんですけど。ただ、デザインとアートの一番大きな区分は、「誰のお金でそれをやっているのか」ってことだと思うんです。デザインってたいていはクライアントがいて、他者からの依頼で何かをやることが多い。一方、アーティストは、ガンダム展みたいにきっかけは依頼されてつくることもありますけど、何をつくるかは自分で考えるわけで、「自分がこれをつくりたいから、つくる」ということでスタートする。「お前はアーティストじゃないんだ」っていう人の立場としては、「クライアントがいるんだから、その人たちのことを考えて行動しろ」ってことだと思うんです。僕、今、銀座のシャネルのファサードのアニメーションの仕事をやってるんですけど、それは僕の名前もほとんど出してないですし、かなりデザイン寄りの仕事なんですね。それはシャネルの社長さんがすごくいい人なんで、その人が喜ぶようにつくろうと思ってやってます。
小谷 僕も似た感じを持ってますね。PVを途中まで撮って、やめたことがあるんですけど、デザインの場合は、ターゲットがあらかじめ想定されていて、喜ばれてなんぼ、伝わってなんぼっていう感じがあります。美術の仕事って、ターゲットのことを、つくってる側が、あんまり想定してるわけじゃないんです。僕はとくに、ですけど。デザインの仕事は、つねに受け手があると思うんですよね。映像でこれまでに自分でも最高傑作ができたなと思ったのって、知り合いの結婚式で上映するためにつくったヴィデオや友達の40歳の誕生日パーティ・ヴィデオが一番よかったりするんですよ。すごく喜んでもらえて。
八谷 そんなのやるの?
小谷 やりますやります、無償ですけどね。だけど、そういうのをやったときに、ドン!と喜んでもらえると、嬉しくて仕方なくて。だけど「アートのとき、全然、喜ばれない!」みたいなギャップがありますね。やっぱり、嬉しいんですよね、喜ばれると。デザインの仕事って、つねにそういう「祝福されるために生まれてきたもの」という側面があると思うんですよ。ターゲットのレンジが設定されてるかされてないかっていうのは、大きい気がします。
八谷 もし、小谷くんの好きなミュージシャンで、小谷くんの作品のこともよく知ってて、お任せで撮ってほしいっていう依頼があったら?
小谷 そりゃ、やりますよ。
八谷 ビョークのPVつくりたいって書いてなかったっけ?
小谷 ビョークじゃなくて……。
会田 林檎さんだ!
小谷 椎名林檎が好きだっていうのもあるんですけど、アイデアがあるんですよね。よっぽど制約がきつくなければ、いいんですけど。制約があってこそ、いいものをつくれるのが、デザインの世界なんだろうなとは思うんですけど、僕はたぶん、そういうのができないんですよ。ついつい嫌われるような作品をつくりたくなる(苦笑)。
アナログあってこそのデジタル
――(観客)小谷さんにお聞きしたいんですが、先ほど、デジタルをやるならアナログもやらなきゃ意味がない、とおっしゃってましたが、そのお考えをもう少しうかがえますか?
小谷 確かにデジタルだけでつくってる作品で、すごいものもあるんですよ。たとえば、オウテカの「Grantz Graf」というPVで、3Dアニメーションでつくられているのがあって、本当にすごいんです。これは絶対にデジタルじゃないとできないという表現なんですけど、僕なんかは、アナログからデジタルへの過渡期で育った世代だから、どちらかというと、すべてデジタルでできあがっているものよりも、アナログの積み重ねがあるものが好きなんですね。たとえば、映画『セブン』のタイトル・シークエンスでも、あれがなぜ、よく見えるかと言えば、もちろんデジタル技術も使ってるんですけど、アナログの積み重ねがあるからなんですよね。ジョン・ドゥのブックを、ものすごいボリュームでつくってるじゃないですか。ああいうのを見てしまうと、アナログの蓄積を最後にデジタルに変換することが、いかに強いかっていうのを、感じてしまうんですよね。僕なんかは、ああいうのにグッときてしまう習性が残っていて。いずれこういう感覚って滅びていくのかもしれないですけど、僕は、それを武器にするしかないんだろうなと思ってます。
(2005年12月10日 青山ブックセンター本店にて)
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